宗教が果たす役割 教会長
6月21日(土)に、名張市宗教者連帯会主催で、記念講演会が開催されました。このたびは、講師に関西大学教授の宮本要太郎先生をお招きし、「夢と希望・幸せが実感できる社会をめざして 〜地域宗教が果たす役割〜 新たな「世間」の可能性を問う」と題して、お話をいただきました。
宮本先生と私は、まさしく御神縁の中の出会いで、初対面は今から40年以上前、金光教学生会の全国大会に私が初参加した際、当時大学院生であられた宮本先生も参加されていました。当時、あまり言葉をかわした記憶はないのですが、なぜか印象深く覚えていました。
それから30年余り、私が「宗教文化士」の資格をいただき、関西大学で開催された「宗教文化士の集い」に参加した際、宮本先生がスタッフとしてご用くださっていました。思いがけない再会にうれしく、ごあいさつをさせていただきました。それからさらに10年。この春に講演会の企画をしてほしいという連帯会の依頼から、ふと「宮本先生なら、この連帯会の主旨にぴったりのお話をしてくださるに違いない」と頭に浮かび、連絡を取らせていただきました。するとご快諾くださり、今回の講演会開催に至りました。
お話では、日本の宗教観と海外の宗教観の大きな違いから、古来、日本の神道は「国民道徳」となったもので、それが習俗化し、いわゆる「世間教」となったこと。みんなとおなじようにすることが大事という観念が根付いた(例えば、「お返し」の習慣、「みんな同じ」=同調圧力、「呪術性」=吉凶日の概念など)こと。これらが個人の信仰に対する排他性を生み出したことなどをお話くださいました。仏教や神道などの既成宗教に対し、お盆やお彼岸のお墓参りをしたり、初詣や季節の祭事に参加したりすることには何の違和感もないが、「〇〇教の信者です」「○○会で活動しています」というと、違和感を持たれるといったことが往々にしてあります。
そして、金光教はもちろん、他の宗派でも問題になっていることは、人口減少や少子高齢化による信徒の減少で、それに加えて教会や寺院の後継者問題です。世襲には限界があり、また個々の宗教団体による活動に、限界があるということです。
これからの時代、「開かれた宗教コミュニティ」への転換が必要で、宗教施設を「地域の共有資源」「地域の縁側」として活用し、開かれた公共性の担い手になっていかねばならないとお話くださいました。